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旅ゆけば〜

旅ゆけば〜

♪旅ゆけば〜駿河の里に〜茶の香り〜

それぞれの旅を少々。

北緯38度54分を歩く~ワシントン編

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 先月末は気仙沼街道を薄衣-千厩、矢越-気仙沼を歩いて、平泉へ行ってと北緯39度近辺の魅力を満喫した。以前、google earthで店米山武の茶の間の緯度を調べたら北緯38度54分24秒で、東海岸で同じ緯度をみたら、なんとワシントンD.C.だった。というわけで6年ぶりにワシントンへ来ています。

 店米山武の茶の間を目ぼしい建物に合わせて、気仙沼の地図をかぶせてみたら、

ワシントン・コンベンション・センター=店米山武の茶の間

ホワイトハウスのドーム=四反田の青果市場

連邦議事堂=商港フェリー乗り場

スミソニアン博物館群=ジャスコとクリエみうら

ペンタゴン=東陵高校の野球場

になった。上の写真がそうです。どっちの地図も白線なので見づらいけれど、グレーの部分が気仙沼湾、白黒の線が気仙沼線。ルービックキューブのように地球をカチャカチャ回したらワシントンに着いてしまうのか。なんてことはあり得ないけど、同じ緯度で太陽や月を見て、空を眺めていると思うと、地球って広いようで狭い。

KENJI

出待ちウォッチング

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 ヤンキース対マリナースが13時からだと思って慌てて向かったら16時開始だった。暇つぶしに出待ちウォッチングする。12時前だというのに、選手入場口から40メートル位離れた柵にはすでに50人近くいた。一番人気はジーター。やっぱりな~。土曜日なのでボールとペンを持った小学生がわんさか。アジア人は僕くらい。

 正午過ぎ、トーリ監督が入る。みな「トーリ!トーリ!」と叫んで手を振っていた。12時半をまわると続々集まり、井川は一部のファンからブーイングを浴びせられていた。あれって一部なのに、全員の総意に聞こえてしまうんだろうな~。気の毒に。そしてマリアノ、カブレラ、デーモン、アブレイユと続く。

 って何でこんなに分かったかというと、解説してくれるおじさんがいたからだ。車種を見るなり誰のか教えてくれる。「彼女はスーザン。インタビュー担当記者」だの「彼は場内アナウンサーのボブ・シェパード」だの、選手以外の車も熟知している。1時前には出待ちが200人以上に膨らんで、途中参加の小学生は誰が入ったかおじさんに尋ねていた。写真の赤シャツのおじさんがそう。

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 12時55分、満を持してジーター登場。一瞬のチャンスを狙って小学生たちはボールを高く揚げ、女性は奇声を発している間にマツイ入場。何人か「マツウィ~!」と叫んでいたが、皆ジーターに気を奪われていた。案の定、ジーターが入場したら20人に減り、おじさんは「教えてくれてありがとう」と子供たちから握手を求められていた。

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スタテン島フェリー

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 長期休暇の後半は風まかせであちこちへ。ニューヨークへ何度も訪れていながら自由の女神を近くで見たことがなかったので、遊覧船に乗ろうとしたら7時じゃ早すぎた。で、スタテン島行きフェリーは接近しないけれど正面から見れそうだし無料なので、乗って眺めることにした。

 時間にして約25分。大島航路の10倍はあろう船内で、乗客は本を読んでいたり、化粧していたり、友達とおしゃべりしていたり。死角になりそうな最上デッキではカップルがイチャついている。自由の女神よりそっちの方が気になってきた。そのうち二人ともベンチに横たわり、着衣のまま重なっている。あわわわ。そんなの家ん中でやれと思ったが、船内とデッキを行き来していた僕を気にも留めずエスカレートしていく。このままどうなっちゃうんだろう、と思ったところで船が着いた。

 人の日常は僕にとっては非日常だもの。それが観光なのかなと思う。

KENJI

気仙沼街道を歩く:薄衣〜千厩(2)

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 江戸時代、薄衣は河の港だった。米やたばこなど東山一帯の産品が集まり、北上川から石巻を経て江戸へ輸送していた。特に東山産の煙草は品質が良くて、偽物が出回るほどのブランドだったという。頻繁に物資を送って、今の静けさとは正反対の賑やかな港町だったのだろう。ちょんまげの水夫が俵を担いで筏に乗せていたのだろうか。川の流れにまかせて下ることはできるけど、上るときはどうしていたんだろう。売り物の材木を筏にして、石巻でばらしていたのだろうか。動力のない時代にどうしていたのかとても気になった。

 それと川岸は時に大水害に遭うこともある。最近だと1940年代のカザリン、アイオン台風による氾濫が有名だけど、治水技術が今ほど進化していない江戸時代なら、水害はもっと頻繁だったに違いない。堤防を築き、蔵は丘に建てて物資と生活を守ったのが垣間見える。藩の米蔵「御蔵」は、現在の役場のあたりにあったという。当時のものかどうか分からないけれど、古そうな蔵があったので登って覗いてみた。漆喰の壁でできたそれは、長い間放置されているようでぼろぼろだった。ほかの家の蔵も母屋より高くしてあったり、山の斜面にあったり。先人の努力と工夫を感じる。

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気仙沼街道を歩く:薄衣~千厩

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 4月27日、薄衣で降車。まず目をひくのは新しくなった北上大橋。いつだったか帰省したときツチノコ形の橋が突然できていてびっくりした。実際近くで見ると迫力に圧倒される。全長482mの鋼橋で、鋼重は4659.8t。3径間バランスド・タイト・アーチ橋と呼ばれる構造で、隅田川にかかる白鬚橋など同じ構造の橋は日本では4つしかない。橋のふもとには「田中賞受賞」という石碑が建てられていた。どうやら優れた橋梁建造物に贈られる賞らしい。

 けれど、よくよく調べてみると白鬚橋の構造は下路式ブレースドリブドタイドアーチ橋で、3径間バランスド・タイト・アーチ橋ではない。どっちも同じものなのかいな。専門的なことは良く分からないけれど、とにかく世界的に珍しい構造らしい。北上大橋の一部を請け負った橋梁メーカーの施工実績では、カナダ・ケベック州のラヴィオレッテ・ブリッジ、オーストラリア・シドニーのシドニー・ハーバー・ブリッジと同じとのこと。シドニーのなんか頂上まで登るツアーがあるんじゃないの。北上大橋に登ったらすぐさま通報されるだろうな~。

 話を4月27日に戻して、北上大橋にしばし見とれる。振り向くと上流の護岸にちょっとだけ旧北上大橋の跡が残っている。僕が通り始めた頃は既に老齢を迎えていた頃で、狭いしガッタンガッタン言うし、古いなあと思っていた。でも昭和13年の開通当時は一大交通革命だったという。

 それまで渡し舟だったことを思えば、そうかもしれない。

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岩手日報 いわての橋

22.北上大橋

142.北上大橋

三菱重工橋梁エンジニアリング 橋の美術館

北上大橋

気仙沼街道を歩く

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 徒歩が脳の処理速度に最適な気がする。つい200年前まで主な移動手段は徒歩だったことを思えば、世の中便利になったと思う反面、人間の能力はその速度に追いついていないようにも思う。

 高速走行中の新幹線から外のにおいはかげないし、眺めることはできても次々と風景が変わっていく。車もそうかもしれない。五感にふれるにはやっぱり歩くしかないとの結論に達し、気仙沼まで歩いて帰ると決めた。といっても、東京から500キロ。いくら俊足でも10日はかかるので、暇を見つけて少しずつ歩いてみることにした。

 最初の目標は気仙沼街道走破。いまの国道284号線とほぼ同じ。気仙沼から千厩を抜けて薄衣へ、北上大橋を越えたら花泉へ向かう道。色々調べてみると室根山への参詣道としての役割があったり、交易路としての役割があったり。その辺は後で書くとして、とにかくどんな道にも歴史やドラマがある。誰かが歩き始めたり、つくらなければ道はできないんだもの。今では重機で整備できるけど、昔はすべて人力だったろうし、橋ひとつ掛けるのだって一大事業だったに違いない。すごいよね道って。

 なんて想いをめぐらせているうちに、むかし読んだ十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や司馬遼太郎の『街道をゆく』を思い出して、話がまとまらなくなってきた。いかんいかん、道を語らせれば一家言あると思っていたのに。

 何を言いたいのか分からない文章になるかもしれませんが、要は散歩記録です。よろしくおつきあいください。最初からそう書けば良かったー!

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東京タワー

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 同級生一行が上京してきた。「なんかさ、みんなでのぼんのがいいっちゃ」と、幹事がどうしてもと選んだのが東京タワー。集団でのぼるなんて中学の修学旅行以来だ。望遠鏡を顔で遮ってみたり、ガラスの床でジャンプしてみたり、中学生当時と変わらないバカさ加減。これがヒルズ展望台だったらすまして眺めていたかもしれない。僕は最初、高い所なら他にもあるのにと思ったけれど、幹事が求めていたのは眺望ではなく、思い出の再確認だったのだろう。18年前の自分を思い出してこっ恥ずかしくなったり、懐かしくなったり。中坊のケンジ君に今の状況を何と語りかけようか。おかげさんで幸せに暮らしてますよ〜ってところかな、ハハ。なんて想像を地上150mで。

 江國版でも、リリー版でもない私家版東京タワーを見つけた気がした。

KENJI

経験の共有

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 コロンビア大学でガンの基礎研究を続ける高校の先輩、Hさんと飲みに行き、もっぱら気仙沼ネタで盛り上がる。気高が鼎が浦と合併しただの、気小の入学児童がいずれ19人になるだの、足跡が同じだから一から説明しなくても話題が進む。そのスピード感がなんとも心地いい。

 高校の話題を切り出すとき、体育教師ギッコと応援練習の話をするとだいたいの先輩方と通じる。というのもみな通ってきた道だから。勤続40年のギッコ先生に教わったOBは多く、初授業は毎年同じ。受身をとって車に轢かれなかったという自慢話なのか漫談なのか分からない話を聞かされる。それを話すと「んだんだ~」と話が広がる。応援練習は入学後の通過儀礼のようなもので、歌えないと一年格という体罰が応援団からくだされた。砂利の上に正座させられただの、スクワットめいたことさせられただの、俺らの時はこうだったと花が咲く。

 経験の共有。学校にはそういう作用もあるのだと思った。

KENJI

とめしとよま(登米市登米)

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 昨日の続きです。尋常小学校の事務室前にはサザエさんの絵がありました。一家で旅行するスペシャルで取り上げてもらったそうです。

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 これらは登米(とよま)町にある教育資料館です。もともと尋常高等小学校で、明治21年建築、当時の洋風学校建築を代表するものだそうです。明治以降の教育史、各時代の教科書、懐かしい再現教室等展示してありました。

 学校と思うだけで何だか今でも緊張する、そんな時間でした。

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 そして、明治22年に建てられ昭和43年まで登米警察署として使われていた建物もありました。こちらは警察資料館です。文明開化から富国強兵の時代、江戸時代とは違うことを形で表したのでしょうか。明治時代の進取の精神を感じました。

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クリスマス

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 金曜日からNYです。マンハッタンはクリスマス一色。聞けばこの時期、海外より国内からの観光客でごった返すという。スーツを着ていると頻繁に道をたずねられて、見るからにアジア人の僕でも、なんちゃってニューヨーカーに浸れるのでちょっとうれしい。

 写真はロックフェラーセンターのツリー。人であふれていた。

KENJI