所用で奥出雲町へ行き、せっかく島根まで来たので出雲大社へ足を延ばした。
国のはじまり、
ひとのはじまり、
ご縁のはじまり、
そこかしこで神々と出会うのでは?と思いながら歩いた。果たして体感できたか?
と、聞かれたらそうかもしれないし、そうでないかもしれない。
Fumihide
津波で破損した国登録文化財の店舗住居を復元中です。
所用で奥出雲町へ行き、せっかく島根まで来たので出雲大社へ足を延ばした。
国のはじまり、
ひとのはじまり、
ご縁のはじまり、
そこかしこで神々と出会うのでは?と思いながら歩いた。果たして体感できたか?
と、聞かれたらそうかもしれないし、そうでないかもしれない。
Fumihide
台風4号で避難勧告の出た地区があったり、大島航路や大船渡線も止まったりとだいぶ心配させられましたが、大過なくやり過ごせました。
その後、暑くなると思いきやヤマセでしょうか、クシャミを連発しています。
夏至を過ぎたとはいえまだまだ肌寒い中、店米山武のご近所も取り壊しがすすみました。おとなりS本さんの2階が終わり、そのとなりの通称かすんてさんは蔵がなくなりつつありますが、奥の建物は残すそうです。
そして復活したバス停には待ち人。
シートが張られたN井さんちの前でバスを待っていました。
数分後、バスは待ち人を乗せて出発しました。
いつもの何気ない日常なんですが、現実は厳しいですね。これからの道のりを考えるとうーん、、、もう一踏ん張りと思ったり、不安になったりの繰り返しです。まるでことしの天気みたい。
そしてまた、エンジン音をかき消すくらいの、硬いものをつつく音がまちに響きわたります。
seiko
昨日から始まった店米山武の裏側部分の解体。
グァ~~、グァ~~、ガリガリ、、、、。
散水しながら、ベリベリベリ~。
お隣の物干し場が見えてきました。
そして、さらに隣の松月堂さんのビルも現われています。
思わず息をのんだ真ん中部分。
台所に貼ってあったカレンダーが、、、あの日のままです。
そりゃそうだ、壁がめりこんであの日以来そのままだったのですから。
悲しいけど受け入れねば、ね。
今日の夕方にはキレイさっぱりになりそうです。
seiko
6月6日の店米山武です。
隣の佐々木金物店さんの解体が終わりました。
お隣りとのすき間は30センチあったでしょうか。そこを蟹歩きできるのは大工さんくらい。といっても直したことなんてここウン十年ありませんから、傷んだ外壁が「風雪流れ旅」ならぬ、風雪流れさび、錆?寂?の状態(笑)。
そして明日6月7日から、登録文化財になっていない我が家の奥の解体が始まります。
一部ではあっても無くなってしまうと思うと、幾分感傷的になりますね。すでに解体を終えた方は、こういう気持ちだったんだろうな、って。
ま、ファイト!一発!初鰹でも食べて、、、踏ん張りましょうか。
seiko
「まるで、ジェンガみたいだねぇ」
yokoが友人から言われたそうです。
う~~ん、そう言われればそうかもね。
横から覗いてみると、、、
上手~く組み合わさって、まさに巨大ジェンガ状態です。
なぜこういう風になっているか?
解体のための準備なんだそうです。
交差点の中で大型機械がガシャ!ガシャ!と言う訳にはいかず、手作業で解体されるとか。
お向かいのこふじやさん、小山呉服店さん、永沢さんは3月中旬には何にもなくなりました。
新潟屋さん、吾妻さんも終わり、今日はマスヤカメラさんが更地になってしまうでしょう。
6月からはイコーレ(丸光)と立体駐車場が解体されるそうです。
にぎわいのあった南町。無くなってしまうと何処がどこだかサッパリ解らなくなってしまう。
悲しいのを通り越して、笑うしかない。なんて悲しいね。
seiko
店米山武の現在の様子です。
お向かいの一角は、岩手銀行さんといくつかのビルが残るだけになってしまいました。
近隣も木造家屋は基礎部分があるものの、キレイさっぱりとなって、、、荒野そのものです。
去年5月に解体申請を済ませてはいましたが、登録文化財ということで様々な方面から残す方向で話が進んでいます。両隣とも解体してしまうので、結果的には店米山武のみ。
ぽっつーん!となってしまう。
いざ解体工事になると、いろいろな技がいるみたいですね。
側壁がめりこんでいるので、おとなり解体中にドリフのコントみたいにベッシャーンいかないように、ということで補強工事が始まりました。柱を立てて、筋交いを入れて土台は?なんちゃら?かんちゃら?だそうです。
これこそまさに「荒野の用心棒」ですね!
西部劇でよく見る両開きのドアでもつけて、馬もいれば完璧かな。(笑)
seiko
東日本大震災からはや半年、多くに方々に支えられてここまで来ました。ありがとうございます。
魚町の店米山武は倒壊の恐れがあって、かろうじて鉄パイプが支えています。少しずつ引き揚げた家財も8月半ばには片付いて、そのままでした。
「米屋にカボチャっぽい葉っぱあったよ!」
と言われて久しいのですが、確認はしていませんでした。
行ってみたら、、、ちゃ~んと花が咲いています。さて、大きなカボチャは生るのでしょうか?
これは、たぶんジャガイモ。
コンクリートの割れ目や側溝からニョキニョキ伸びています。
これから秋を迎えるというのに、花が咲いて、、、ちゃんとジャガイモに育つんでしょうか。壊れたけれど軒先に守られて、何とかなってほしいですね!
思わず口ずさんだのは、
♪根性!根性!ど根性〜♪(笑)
片付いたとはいえ3月11日を物語る店米山武。界隈もまだまだ手つかずで、いいのか悪いのか、ちょっと考え込んでしまうこの頃。
根性もんの野菜に負けずにがんばろう!
seiko
洗濯槽に放り込まれたかのような店米山武。(笑)
神棚も例外ではありませんでした。七福神の「恵比寿様」と「大黒様」が鎮座してたはずなのに、ひっくり返ったりおっくりかえったり(?)していて、、、さて今度鎮座させようと思ってはみたものの、どう並んでいたか?記憶は定かでないのです。
お宮一式にあっては、どっちが右か?左か?悩んでいます。
部品もかなり外れて、丁寧に洗っているつもりでもポロッ、ポロッ。ジグソーパズルに挑戦している感じです。
写真は、中に残っていた文書。
ない頭をひねって、あーでもないこーでもないと出た結果はこうです。松岩の木彫師村上卯の松さんが昭和4年旧4月20日にうけた、という注文請書でした。その後10月20日に納めたとも追記してありました。昭和の大火は昭和4年2月ですから、おそらく上棟式あたりに納められたものなんでしょうね。
82年前の火災後からこの大震災まで、よくぞ生き残った!
次世代に伝えるには、誰かこのことを書き残しておかねばならないでしょうか?
では、泥縄でお習字に通ってから~。
seiko
「おばちゃん、一緒に行かない?」の誘いに、、、
解体前に一般公開された鼎が浦高校へ行ってきました。
気仙沼高校に統合されて5年半も経っているんですねぇ。来春までに解体されて、その後は警察署ができるんだそうです。
校内には変遷がパネルで展示されていました。上の白黒写真は八日町から移転したばかりのもの、真ん中はプールが出来た頃のものでしょうか、豊かな自然が一杯ですね。一番下は閉校間際のでしょうか。
まだまだ使えそうな気がした第二体育館。
いやに丁寧に見て回っていたyoko。「校舎もゆっくり見るの?」と聞いたら、答えが最高にふるってた。
「ううん、校舎は寝床だったから、、、」
3人でガハハハ、、、、。(大笑)
いい香りを放ってた金木犀は、気仙沼高校に移植されるんだとか。
多くの夢と希望を育ててくれた懐かしの校舎。
ほんとうにあ・り・が・と!
seiko
散策をかねて自宅から徒歩で向かい、夕暮れの本町橋を渡っていたら、
「あれ〜店米山武さん、一升瓶ぶら下げでどごさ行ぐのっさ~?」と散歩中のてっつぁん。
「あはは、、、草刈り馬っこだでば!知り合いのどごさ。」
橋のたもとでは、白鳥の一家が何かおしゃべりしています。啼きながら足早に?上流へ向かっていました。
そしてこちらがK氏のコテージ。何年も前から材料を揃えて完成させたというゲストハウスです。切妻屋根の下は吹き抜けになっていて、中は広々としています。
室内は薪ストーブで全館暖房中。部屋は暖まるしオーブンにもなるし、手間はかかりそうですが薪を焚いて楽しむなんて、、、究極の贅沢だわ〜。
次回は栢(かや)の木のお風呂に入れてもらおっと~。
seiko